日本ミステリー紀行
平将門首塚 大手町1丁目

「平将門」の首塚である。平安中期、荒廃の進む下総一帯板東八国を平定した将門は、やがて藤原氏全盛の朝廷と対峙するようになる。住民を守り関東で絶大な信頼を得た将門は、幾たびに上る朝廷との争いの末、新王を名乗る。完全に都の朝敵とされた将門は、940年天慶の乱にて藤原秀郷率いる軍に破れ首を落とされた。
将門の首は京都三条河原に三日三晩晒されたが、三日後白い光を放ちながら東へと飛び去ったという。その後、遠く関東の地に落ち大地を震わせ人々を震撼させた。落ちた場所は武蔵野国豊島郡柴崎村(大手町、神田近辺)と言われている。 将門の祟りを恐れた人々は現在の大手町1丁目に塚を築き首を埋葬し「将門首塚」として供養した。その後も将門の祟りは人々を苦しめたため、1307年時宗「真教上人」は将門に蓮阿弥陀佛の法名を与え、首塚に板石塔碑を建立。また神田明神にて供養の法要を行い懇ろに弔った。このため祟りは静まり逆に首塚はこの地の守護神として祀られるようになった。
1590年、徳川家康の命で神田明神を大手町から外神田に移す工事が行われたが、本来共に移動する予定の首塚を移動しようとしたところ、 「首を動かせぱ徳川家に末代まで崇る」と夢枕に現れ首塚の移動は中止された。
明治時代、首塚の場所に大蔵省があり、1923年に襲った関東大震災では、首塚も被害に遭った。その後大蔵省の移転とともに将門の首塚も撤去されることになり工事が始まりまったが、関係者は次々と原因不明の事故などで相次いで死亡し、撤去は中止された。
霊視結果
この心霊スポットを天紫苑先生に霊視して戴きました。天紫苑先生によると、平将門が現在、特定の個人に対して祟りを行なうとはまず考えられませんが、非常にエナジーの高い場所ですので、首塚を見学に行かれる場合は、厳粛な気持ちで行って下さいとのことです。
※このサイトに掲載されております写真は、いずれも先生方によってお祓いされておりますので、皆様に悪い影響を及ぼすことは一切ございません。どうかご安心ください。
