∵インドで見えてきたもの


インド ジェムストーン そして真言(マントラ)

長年鑑定をしていて、気になっていたことがあります。数百人という方々から、数百通りのお悩みの相談に乗ってきましたが、皆様、「人間不信になった」「人間不信に陥りそう」と声をそろえておっしゃいます。
しかし、考えても見てください。貴方ご自身は、絶対に人を裏切らない、と断言することができますか?誰のことも傷つけずに今まで生活してきた、またはこれからも、そのように生きられると言い切ることができますか?・・・誰かとお付き合いしていて陽だまりにいるような、心地よい生活を送っていたとき、幼い頃から夢見ていた通りの理想的な男性が現れ、激しくときめいた。そして、その人も貴女の気持ちに応えてきた。そのとき、元々お付き合いしていた彼が、どんなに温かな愛で貴女を包んでいようと、新しい人の愛を拒むことができるとはっきり答えられますか?新しい人の元へ去れば、彼を深く傷つける。しかし、それを恐れて、新しい彼を振り切れば、今度は、貴女は貴女自身を欺くことになり、また、新しい彼のことも傷つけてしまうのです。
そして、これが人間の世界なのです。…人間の世界だから、ここで達観しなさい、と言っているわけではありません。また、達観しなさいと言ってもできるものでもない。
そして、どの道を選び進もうとも、貴女の心の傷や、関わった人の心の傷は、癒えることはあっても、何らかの瘢痕を残す。その後の人生に何らかの影響を与えていく。


例えば、貴女の愛する人には奥様がいる。時々、貴女は奥様への憎しみで心が燃え盛り、まるで鬼女の様になる。狂いそうになっている。
その憎しみの焔(ほむら)は意志の力で消すことなんて到底できません。貴女も、いかんせん私も不完全な人間なのですから。(私のことを、霊能者であるからといって、まるで神の如く勘違いされている方々もいらっしゃいますが、私とて、一個の不完全な人間なのです。ただ、一歩でも半歩でも偉大なる存在に近づくため、修行をしているだけなのです。そして、与えられた能力を、偉大なる存在に代わって感謝の気持ちで使わせて頂いているのです)
その焔(ほむら)に焼き尽くされそうになったとき…。この世が地獄に変わりそうになったとき、ふと、ジェムストーンの存在に気づく。胸のペンダントにそっと手をやる。或いは、真言(マントラ)を唱える。
宇宙へのチャンネルが突然開き、心は不思議に沈まり、エナジーが光のように射し込んでくる。
憎しみでいっぱいになっているとき、鏡を見てごらんなさい。震え上がるような恐ろしい顔をしているでしょう?憎しみや怒りは貴女を醜くするだけではない。脳内に、劇薬にも等しい化学物質を分泌させ、比喩ではなく、文字通り、発狂させてしまうことさえあるのです。憎めるうちは、怒れるうちはまだいい。憎しみや怒りにつかれて行動的にもなれるからです。しかし、その後、やる気を出す脳内ホルモンを二度と出せなくなり、燃えカスの様な人生を送っている人を、私は何人も見てきました。
そんな、阿修羅のようになっている貴女の元に、彼は戻って来はしないのです。『北風と太陽の話』のように、一歩外に出れば、7人の敵がいると言われる男性にとって一番求められているのは安らぎなのです。どこの誰が好き好んで、生き馬の目を抜く競争社会から戻って、また、一戦交えたいと思いますか?性愛が優勢な最初の頃は、それも刺激があることかも知れないが、必ず、男性の心は離れます。


彼に嫌われまいと我慢して尽くすのも、また逆作用です。それは、真夏のコートのように鬱陶しく、疎まれます。
しかし、どんなに自分の感情をコントロールしようとしても、限界はあります。不倫相手が奥様と一緒にいるのを見てしまった時、ひとりぼっちの夜に浮気の耐えない彼のことを思い出す時、湧き上がる憎しみや怒りの衝動を意志の力でコントロールするのは、ほとんど不可能であることが、長年の鑑定歴からわかったのです。
そして、ジェムストーンや護符を身につけたり、真言(マントラ)を唱えることが大いなる助けとなることも実践からわかったのです。ジェムストーンや護符、真言(マントラ)は、意志の力の数十倍、数百倍の力で、貴女の怒りを解消し、本来の貴女の穢れなき部分を引き出します。宇宙のプラスのエナジーを貴女に注ぎ、邪気を祓います。
温かで、微笑みが絶えない貴女なら、必ず愛する人の心をつかめます。また、例え、その愛は成就しなくても、貴女が注いだ愛は、(ここが大事なところなのですが)必ず必ず別の形で貴女に還ってくるのです!!

私が、悩める貴女に対する解答をインドに求めたのは、インドが様々な宗教が共存している国であることに惹かれたからです。私は、宗教家ではありませんので、特定の宗教を崇拝し排他的になっている国には行きたくなかった。

様々な文化、宗教、習慣が共存しているインド。
インドには5つくらいの価値観があり、日本の常識を持ち込んでしまっては到底理解できない、ということです。私は日本と海外を行ったり来たりする生活をおくっておりますが、どうしても先進国(この呼び方にも語弊があると思っておりますが・・・)への出張が多かったため、偏った価値観をニュートラルに戻すつもりで瞑想と水行を十分行いました。

インドにおいて牛はお釈迦様の乗り物として敬われ、街中を闊歩している・・・そのことは私もよく知っていました。でも、真夜中のインディラガンジー国際空港を一歩出て、迎えの車が止まっている駐車場の脇に何か岩のようなものが固まっている、それがよくよく見れば眠っている牛の群れだとわかった時は、さすがに驚いたものです。


インドで路上を自由に使っているのは、人間と牛だけではありません。野良犬や鳥、猿、リスとあらゆる動物に出会うことができます。そして、日本では考えられないほど、人間を恐れていないのです。もっとも驚かされたのは、世界遺産に制定されているクトゥブ・ミナールという遺跡の庭で野良犬が子育てしていたこと。これがもし日本であれば、見つかり次第保健所行きでしょう。人間の命も動物の命も等しいものとして尊重するインドの価値観が体現されたこの光景は、またひとつ私の心に深い印象を刻みました。(付記:朝の市場で、チャイを飲もうとして開店前の店先に置かれたベンチに腰掛けたら、その下でも野良犬が子育てをしていて、吠え付かれてしまいました!!)


先日、紫苑のスタッフのひとりがハムスターを飼いました。売れ残りなので、300円だったとのこと。一緒に売られていたチワワは24万円だったそうですよ。彼らはペットだから値段がつけられていますし、人間には値段はない。しかし、偉大なる存在の下では命に値段がつけられないのはもちろんのこと、命の重さに優劣もないのですね。そうした考えのもと、ベジタリアンである選択をした人々もいます。


私たちは、多くの生命を奪い、自分たちの糧にしております。(私は職業柄、肉を絶つこともありますし、場合によっては絶食することもありますが)それに罪悪感を抱く必要はありませんが、感謝の気持ちは忘れがちです。特に、現代のようにあらかじめきれいにカットされたものが市場に出回っている時代、元々は我々人間と同じ生命あるものという認識が薄くなっています。最近多発する子供への虐待と、これらの事は果たして無関係と言い切れるでしょうか?彼らは若い親です。ちょっと前まで、子供だった彼ら。命を大切にすることを学ばなければならない時期、学ぶことができなかった。それは、大人の責任。彼ら自身の親だけが悪い、と言いたいのではなく、社会の象徴としての大人、と言うことです。


自分の周りにある命を慈しむ。相手の立場にたってものを考える。恨みや怒りは、その人にぶつけるのではなく(勿論、言うべきことは言わなければいけません。それもまた勇気です)、貴女と偉大なる存在との間で心の話し合いをし、解消する。その時、偉大なる存在と貴女を結びつけてくれるもの、それがジェムストーンであり、真言(マントラ)であり、護符なのです。
今回のインドへの旅は、ひとが幸福になる秘訣の入門書を私に授けてくれました。しかし、まだまだ、奥の深いインド。今後も月に一度のペースでインドへ出向き、皆様に提供できるものを、抽象的なものであれ、具体的なものであれ、探してこようと思っております。


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